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「私を殺して、ミル」

 

 

 真っ白な壁、リノリウムの床、廊下からは誰かが歩く音が一定のリズムで聞こえる。いかにも几帳面そうな音。清潔で安全な世界。そこで、僕は彼女を殺した。

 彼女は病を患っていた。僕にはそれが具体的な何であるかは分からない。だけれど、まったくの正常な人間なんて存在するのだろうか。統計と観念の集合体が生んだ欠陥というレッテル。それでも、彼女の病がその生命活動を脅かす確かな存在であるのに変わりはなかった。身体的疾患。そうして、彼女はこの清潔で安全な世界に隔離された。

 彼女は世間的に見れば、決して不幸な人間としてカテゴライズされる存在ではなかった。憐憫の情を向けられることはあれど、彼女ははた目から見れば幸福な少女だった。彼女の両親はいかにも親切そうな顔をした人達だった。裕福で満ち足りている、そう心から思って疑わない人間にしかできない表情を作れる人達だった。彼女はそんな両親からたくさんの愛情を注げられ育った。そして、何より彼女は美しかった。ただし、それはよく見れば綺麗だなと感じるようなもので、彼女を一目見て最初に感じる印象は、親しみやすそうだとか、穏やかそうだとか、そんな類のものだった。彼女は常にその美しさを制御しているようだった。美しいものに魅入られた人間が、いかに邪悪な存在になるかということを、彼女はよく理解していた。そうして、愛情を注がれることに長けた人間になった。

 彼女が入院してから、実に多くの人間が見舞いに来た。環境が変わろうとも、彼女は制御された美しさを保つことをやめなかったし、多くの人間はそんな彼女を哀れんだ。それは医者でさえ例外ではなかった。周りの人間の全てが、いかにも大事そうに彼女を扱った。そして、その度に「ありがとう」と彼女は言ってにっこり笑った。そこで完結していた。まったくの終わり。それ以上も以下もない。それが病室に暮らす彼女の全てだった。

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