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「ミル、優しい優しい私だけのお医者様」

 

 

 彼女の精神が壊れていくのに、そう時間はかからなかった。人間は順応する生き物だった。周りの人間は、彼女の不在に慣れていった。面会者は減り、彼女のもとに訪れるのは、両親と医者と看護師、あとは清掃のアルバイトくらいのものとなった。よくある話だ。誰も悪くない。しかし、彼女は愛されることに慣れすぎていた。愛に飢えていた。それは、決して彼女だけが順応できなかったとか、そういうことを言っているわけではない。その渇きは初めからそこにあったのだ。

 

 なぜ、彼女はあんなにも飢えていたのだろうか。彼女は決して自身から愛を求めることはしなかった。ちょうどその美しさと同じように、愛されるよう印象をコントロールしていた。しかし、誰一人としてその内面に踏み入れることを許さなかった。彼女は愛に飢える一方で、それをひどく拒んでいた。まるで、呪いのようだった。

 彼女のなかには化け物が住んでいて、一度でもそれが望むものを与えてしまうことを恐れているようだった。化け物の住処である彼女の身体には糸が伸びていて、“ほんとうの彼女”はその糸から手を離さないようにじっと集中している。一瞬の油断が命取りなのだ。糸を持つ手には血がにじんでいる。透明であったろう糸のいくつかは、彼女の血液が伝い赤黒く変色している。血管にも見えた。化け物に養分を捧げるための管。彼女を見ると、そんな想像を止められなかった。

 しかし、そんな風に思うのは僕だけのようだった。彼女のその糸の手繰り方は絶妙であったし、片時もその緊張を解くことはなかったからだ。ただ、彼女にも限界はあった。その糸を離し、化け物ではないものと、血を流さずに繋がれる時間が必要だった。それは彼女にも分かっていた。でも、どうすることもできなかった。その化け物を野放しにしてしまえば、それは新しい血を求めにうごめき出し、次第に跳躍し、寄生し、そこかしこの肉を喰って廻ってしまう。その残響を彼女は感じ続けていた。袋小路だ。そこには絶望と、何かしるしのようなものを探す、小さな少女の視線が渦巻いていた。

 

 

 

そうして、僕という“人形《しるし》”が造られた。

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